性とからだの奥の院

タントリカ アビラティの日々あれこれ

名前が変わりました

瞑想の名前が、Prem AbhiratiからYatro Sakiになりました。

リーガルネームと同じサキです。これからはどこにいってもサキ。楽ちん!

名前をもらったのは、Oshoの媒介者(ミディアム)として長年彼とともにいたManeeshaから。お任せでつけてもらうのが主流のなか、自分からsakiという名前がほしいのですと彼女に伝えることは結構なチャレンジでした。

瞑想する人々の中には権威勾配などないと頭で理解していても、染みついた習慣や投影はバシバシ出てくるので、年長の女性にわたしはこうしたいと主張するのは死ぬほど怖かったんです。

恐れを越えて、新しい名前をもらう一連のプロセスは、自分の意思で死を選び、この名前がいいと決めて産まれてくることでした。

そのスペースをくれたマニーサの存在にただただ感謝しています。

ちなみに、そのリトリートの3日間着ていたローブは友達からもらったもの。友達からもらったローブが死装束でもあり産着でもあるなんてとってもsweet!
死ぬときも生まれるときも1人だけど、それでもサポートはいつもある。そんな気持ちにもなれた第二の誕生日でした。

この話はめいそうラジオの最新話でもしています。よければリンクからどうぞ📻

https://open.spotify.com/episode/50ouaE8cq4485WSsoQMSvN?si=F4J9sC8WT7SHG0Rq4n4W_A

すきだといえる心地よさ

わたしは好き嫌いの激しい人間です。
そのうえ、嫌いなものについて微に入り細を穿ち説明してしまうので、怖がられることも多いです。

裏を返すと同じ熱量で好きなものを好きということもできるのですが、暑苦しくスキスキ言える人間が同じ熱量でキライを話したらそれは怖いですよね。
でもですよ、配慮は必要ですが、NOを明示することは必要だと思っています。

自分のNOにYESという。
そこからしか本心のYESは生まれません。
偽りのYESを言い続けていたら、どれが本当のYESがわからなくなってしまうから。

嫌なものは嫌。不快なものは不快ときちんと表明できるようになったからこそ、臆面なくスキスキ言える心地よさを取り戻せたように思います。

NOを言える土台があるうえで、見返りや期待を孕まずに好きなものを好きだと言うのは、エクスタシーとすら言えるほどきもちがよいものです。すっきり、さわやか、すがすがしい。


こんなことをめいそうラジオでもお話しています。
聞き流しでどうぞ!2倍速もおすすめです。
https://open.spotify.com/episode/1MpPwSdEyHgUDlakdqNeJ7?si=6jMqioyJSImOSJR-PV9mCg

追伸
「わたしのYESには価値があります。なぜならわたしはわたしのNOを尊重しているからです」
認知症患者の画期的なケアであるユマニチュードを開発したイヴ・ジネストさんの本を読んだのはもう10年近く前ですが、YESとNOの関係についてこれ以上美しい表現をわたしは知りません。お勧めの一冊です。
https://amzn.asia/d/a88htWs

いかがわしいってどういうこと?

タントラはいかがわしいのか?という件についてPodcastパートナー・ラシュミに話したら、即座に「え?男女が抱き合ってるっていかがわしいの?」と返ってきました。

ラシュミはアモーレの国イタリアにほど近いマルタ在住。ハグが日常にあり恋愛万歳文化に馴染んだ彼女からすると、抱き合うってフツウのこと。その視点ありがたい!

よく考えると、アモーレの国でなくても、抱き合うって、親しい、愛しい、好きとかポジティブな感情と結びついた行為ですよ。

いかがわしくない!

そもそも、いかがわしいってどういう意味なんだろう?

いかがわしいーーーー
1 本当かどうか疑わしい。物事の内容、人の正体などが、あやしげだ。信用できない。「—・い品」「—・い人物」

2 下品でよくない。風紀上よくない。「—・い映画」(デジタル大辞泉
ーーーーーー

ふむ。
男女が抱き合っていることを形容するなら、下品でよくない・風紀上よくない、の意味ですね。

うーん?好きあってる男女でも下品で風紀上よくないの?前提としてパパ活とか不倫とかよろしくない(とされる)関係性の男女を想像しているから下品ととらえるの?いずれにしてもいかがわしいとする根拠が曖昧です。

さてもうひとつ、いかがわしいがタントラを形容する場合は、あやしげで信用できない、になりますね。

これは完全に印象だけで判断していると思うのです。

前提として認知のしくみの話をするのですが、
人間は判断するときに直感的思考と分析的思考の2つの思考パターンを使います。印象でぱっと決めるような直感的思考は、早く判断できるかわりに、認知バイアスがかかりやすく、真実とは異なる判断をしやすいのです。
後者の分析的思考は、さまざまな情報をもとに多角的に判断する場合のプロセス。時間はかかるけれど、より堅実な判断ができます。
ですが分析的思考を使うには多くの情報が必要です。
情報が足りない場合は直感的思考、つまり印象で判断するしかありません。

残念なことにタントラは単語が一人歩きしていて、信用に足る情報がとても少ないのです。
つまり、タントラに関する情報不足がいかがわしいと思われる原因!だと推測できると思います。

ところで、前出のラシュミとわたしのふたりでやっているPodcast瞑想ラジオは、性とか死とかぎょっとするトピックについて、ゆるく、でも真面目にタントラの視点から話しています。
無料です。タントラ情報のひとつとして、よろしければご一聴を!

瞑想ラジオ タントラってなに?
https://open.spotify.com/episode/1u2er8tTiB52SZeSryrp4c?si=mnImz6TAR827aGSwiFIcXA

人間がどうやって判断をしているか、認知の仕組みを知るにはthinking, fast and slow がとってもおすすめです。
https://amzn.asia/d/9zZLJnG

タントラはいかがわしいのか?

えーん、インド占星術のセッション後、さっそくタントラが今世のミッション!とSNSに勢いあまって書いてしまったら、タントラって男女が抱き合ってるいかがわしいやつですよね?
的なコメントをもらいまして。

そうだよね!そう思うよね!

何も知らない方の印象ってそれが普通よねと理解はしていたのですが、いざコメントをもらうとビビるものです。

もーこわいよーーー!!!!(心の声)

うーん、どう説明したらいいものか?
そもそも説明って必要なのか?
悶々としています。
わたしがしたいことに、タントラという名前自体が必要なのか?とも。

わたしの悩みはさておき、
タントラはいかがわしいのか?という質問に戻ると、世の中にはタントラという単語を使うことでめくるめく未知の性の楽しみを妄想させ、その期待を利用してお金儲けをする人たちがいることは事実です。

でも、アビラティが扱うタントラは、それとはまったく異なります。

タントラは愛と性とお金と死ー人間生活のすべてを扱う瞑想のプラクティスです。

ここでいう性は、自分の内側の男性的な質と女性的な質が仲良くなること。
外の相手とのあれやこれやではなく、自分の全体性を取り戻すことです。

大事なのでくりかえします。
タントラでアプローチするのは自分です。
タントラは自己変容の道です。

あ、Podcast瞑想ラジオでもこの話をしているのでよければどうぞ!!

https://open.spotify.com/episode/3XHf1Z1tSZaKBaQLLfHt24?si=imPcSJpXRm-XvCRsEMZkhA

生々しい生の色

縁をいただいて、インド占星術のセッションを受けてきました。

今回の人生での適職はどこからどうみてもタントラ。。。

過去に西洋占星術や算命学でも同じことを言われていやちょっとそれは…と尻込みしていたのですが、インド占星術でもそう言われたら大爆笑です。三国そろってタントラ推しですか。腹を括るしかありません。

さて、今回の人生でやりたいことはつまり未経験のこと。課題はつきものです。

わたしの場合は、個性を表に出すこと。
他人の目や評価を気にせず、自分の色を出すことだと。前世は修道院やら寺やらで、みんなと同じことをしていたようで、個性を出したい!が今際の際の願いだったようです。

うーん、わかる、、。ほかにも腑に落ちることだらけでインド占星術すごい。

死ぬほど怖いのですが、ここでやらないと死ぬときにかならず後悔することだけはわかるので、なんとか、、這ってでも、こちらの方向に進みたいと思います🥹

からだにでたらめを許す

昨夜は、ノーマインド瞑想をしました。

※oshoノーマインドは、1時間でたらめことばを喋り1時間静かに座る瞑想です。
詳しいことはこちらでどうぞ。
https://www.osho.com/ja/osho-multiversity/meditative-therapies/osho-no-mind

機会を作ってくれたフレンズに感謝!

野口体操での初仕事・大仕事!を終えて、なんというgood timing。

カメラオンになんてできない、お風呂上がりのだらっだらどろっどろで状態で始めました。

ベッドに寝転んで、からだを動きたいように動かして、でたらめなことばを喋る。

口から言語ではない言葉を話し始める。

すると、からだは主張しはじめる。

ふとももは何もできず震え泣いていた恐怖を手放したい。

肩は溜まった怒りを叫んで外に出したい。

膝は、足の指は、骨盤は、

みな別の主張を、過去を、記憶を持っているようだ。

波のようにやってくることばを、
どのパーツにも自由にさせていく。

わたしの思考とは別に、
からだそれ自身が、パーツそれぞれが喋るんだ!

なんて豊かなんだろう。

からだが自由に喋るのを見守るのは、
なんと気持ちがよいことか!

まったくもって他人様には見せられない
あられもない
ぐちゃぐちゃの
おぞましくすらある音と動き

その気持ちよさを許せるのは
オンラインならではだった。

自分の家で
1人で
zoomの画面がオフでも
友達と一緒に瞑想できる。

この時代に生まれて本当によかった!

死を祝う

死は必ず、誰にでも、やってきます。

遅いか早いか。

予期できるかできないか。

納得できるかできないか。

違いはあるけれど、必ずやってきます。

それなのに、なぜ避けられるのでしょうか。

なぜ話してはいけないことなのでしょうか。

父が死んだとき、わたしは11歳。
自死だと知らされたのは19歳。

自死は隠すべき、恥ずべきことだったのでしょうか?

わたしはそうは思いません。

長年抱えていた、暗く重いものを、
ひとりで持ち続けなくていい。

そう道を開いてくれたのがタントラでした。

マイルストーンになった講座「タントリックな死ー偉大なる生の扉を開け放つ」が
パワーアップしてスタートします。

講座の主催者ShivaShaktiのPodcastで、
体験談を話しています。

よかったら聴いてみてください。

https://open.spotify.com/episode/5wIb65xHof2lbC1QgK8VBW?si=lSMe5w2jS7mBENj3-37udA

講座の詳細は以下よりどうぞ。家で受けられるオンラインコースです。サポートチームとしてアビラティも参加予定です。

https://online.shivashakti.jp/a/2147935600/Q5Lwy8EK